[05]奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき(猿丸大夫)
(訳)奥山に紅葉を踏み分けやって来て、鹿の声を聞く時こそ秋は悲しいものだ。
定家に色紙を頼んだ宇都宮蓮生は、定家の息子・為家の嫁の父。宇都宮に一大文化圏を築き、和歌活動を積極的に行なった。その京での別荘「小倉山荘」の調度品としての色紙なので、場所にちなんでおのずと秋の歌が多くなる。勅撰集の区分け(「部立」といいます)では春と冬が6首、夏は4首しかないのに、秋は16首にのぼる。また、部立を問わず紅葉の歌を抜き出すと6首を数える。
奥山に紅葉を踏み分け入って行ったのは鹿か人かで古くから解釈の分かれる歌だ。最近では人とする見方が有力のようだ。その立場で訳してみた。「声聞く時ぞ」と強調することで奥山に分け入った人の姿が浮かび上がる。妻の姿を求めて鳴く雄鹿の乾いた声がせつなく響きわたるのを聞いた時、ただでさえ物悲しい秋のなかでも、とりわけ悲しさがかき立てられる。究極の悲しさとでも言おうか。
猿丸大夫は謎である。万葉集の歌聖としてあがめられていた3柿本人麻呂のことを平安時代には「人丸」と表記し、誰が詠んだのかわからない古そうな歌を「人丸」の歌と見ることが生じた。これに対抗して語り出されたのが「猿丸」であった。この歌、古今集では「よみ人しらず」とある。ただ、万葉集と古今集の作者のわからない歌を集めた『猿丸集』という小さな歌集にもある。定家はこの歌をどうしても選びたく、実体のない猿丸の名を借りたのだという。