39 河原院

[14]みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにし我ならなくに(河原左大臣)

(訳)陸奥(みちのく)の「信夫(しのぶ)もぢずり」の乱れ模様のように、誰のせいで心が乱れた私だというのでしょうか。ほかならぬあなたのためですよ。

 

 「信夫もぢずり」は一説に、陸奥・信夫郡で行われた乱れ模様が特色の染色法という。福島市内には「文知摺(もちずり)観音」と「文知摺石」を伝える公園が今もある。この歌の作者・源融と土地の娘との悲恋物語とともに伝わり、松尾芭蕉もこの石を見たと『奥の細道』に記す。ただし、融が陸奥を訪れたとは考えにくい。ゆかりの歌を当地の人が大事にし続けたことがここからもうかがえる。

河原左大臣と虎女の墓

 出典は古今集の恋四。古今集の恋歌は五巻から成り、まだ見ぬ相手に思いを寄せ、手紙のやりとりなどのかけひきをし、一緒になれたことをよろこび、その後、男の訪れが間遠になるなどして恋の終わりを知り、男女は分かり合えないものという境地に及ぶ、恋の展開に沿って360首もの歌が並ぶ。恋四は終盤の段階。この古今集の秩序で見れば相手の心変わりを非難する歌と読める。一方で『伊勢物語』の初段では、元服したての主人公がこの歌を踏まえて、垣間見た美しい姉妹に歌を贈っている。一目見て心乱れる恋の始まりにも通用する、包容力の大きな一首だ。

 

 融は、鴨川沿いの邸宅に陸奥の塩釜を模した庭園を作り海水を運ばせたという。このことから融は河原左大臣と呼ばれ、没後荒廃した邸宅のさまを紀貫之が歌にしている。この邸宅は河原院として後代に伝わる。

暁星高等学校教諭 青木太朗