[17]ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは(在原業平朝臣)
(訳)あの神代にも聞いたことがないよ。龍田川の水を真っ赤に括り染めにするとは。
これも解釈の分かれる歌だ。定家の時代には「水くぐるとは」と読み、川面に浮かぶ紅葉の下を水がくぐると解釈した。江戸時代になって絞り染めをいう「括り染め」のことだとの解釈が出され、以来これに従うことが多い。いずれにせよ、真紅の紅葉がちりばめられた名所龍田川の流れを思い浮かべたい。「神代も聞かず」とおおげさに言い切ることで、はるか昔から今にいたる悠々とした時間の流れを印象づける。それがいきなり現実世界へと急展開する。読み手を振りまわすのも歌の力である。最後は「からくれなゐに」と視覚に強く訴える。それもそのはず、屏風に描かれた、龍田川に紅葉が流れる絵に添えた歌なのだ。屏風歌といって、絵にふさわしい和歌を色紙に書きつけて屏風に貼る。絵があることを前提とするので、あえて「もみぢ」ということばを使わないところに歌人のセンスを感じさせる。だが、解釈が分かれ今なお議論が続くあたりは、古今集の仮名序で「心余りて詞たらず」と評された業平らしい。
『伊勢物語』の主人公に擬せられ多くの逸話を残す業平は桓武天皇の皇女・伊都内親王の子。三筆の一人・橘逸勢が書いた「伊都内親王願文」には彼女の手形が朱墨で残る。伝説ではない生身の業平に思いを馳せることのできる貴重な資料だ。