[18]住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ(藤原敏行朝臣)
(訳)住の江の岸に寄る波、いや夜までもどうして夢の通い路であなたは人目を避けるのですか。
昼間は人目を避けて姿を見せてくれない。それはわかる。だったら、せめて人目のない夢の通い路だけは通って私の夢に現れてもいいのにどうしてそこまでも避けるのか、と訪れの途絶えた男性の不実さを嘆く女性の立場を詠んだ歌。上二句は歌の主題とは直接関係なく、同音の繰り返しで「夜」を印象づけるための序詞。ただ、寄せて止むことのない波のイメージが、相手への思いをおさえようとしても、どうしてもおさえることのできない女の心情と重なり、目に見えない心情を具体的にイメージさせる効果がある。古今集にはこの歌の一首前に同じ作者の「恋い悩んで寝ている間に行き来する夢の中の道は現実であってほしいものだ(恋ひわびてうち寝る中に行き通ふ夢の直路はうつつならなむ)」がある。こちらは夢で直接行き来できることを恨めしく思った歌。現実は夢のようにならないことを女の立場で歌う。二首とも歌合で詠まれたもの。歌合は男性歌人が多く、恋歌では自ずと女性の立場になったものが詠まれることになる。
作者・藤原敏行は17在原業平と縁戚関係にあり、歌のやりとりが古今集や伊勢物語に伝わる。一方で29躬恒や35貫之といった若い歌人と歌合で同席するなど、六歌仙時代と古今集の撰者時代をつなぐ貴重な存在であった。