36 葦のふしの間、とは

[19]難波潟みじかき葦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや(伊勢)

(訳)難波潟に生えている短い葦の節と節との間、そんな短い間でさえ逢わずにこの世を過ごせというのですか。

 

 淀川河口一帯をさす「難波潟」は干潟で葦が生い茂っていた。葦のふしとふしとの間は非常に短い。上二句は「ふしの間」を導く序詞で、あまりの短さを視覚的にイメージさせる鮮やかな技法である。また「ふし」と「ふし」の間を「よ」という。「逢はでこの世を」には、「ふし」にはさまれてぴったりと合うことのない「よ」のイメージが重なり、逢うことがいよいよ絶望的であることを強調する。ほんの少しの時間も逢うことなく、今のつらい気持ちを持ち続けながら一生を終えろというのか、そんな薄情な人だったのか、と相手を恨む思いがほとばしる。出典は新古今集・恋一。勅撰集の秩序で読めば、恋のはじめの段階で相手の心変わりを嘆いたもの。ただし、勅撰集の配列から離れて一首を見ると、以前親しくしていた男性の心変わりを嘆じた歌にも読める。すると、序詞を用いて巧みに演出した短い時間の背後に、かつてともに過ごしてきた長い時間が浮かんでくる。

 

 伊勢の歌を集めた『伊勢集』では後半部に置かれている。この部分は伊勢の歌ではないものも少なくなく、この歌も本人のものかどうかは疑わしい。ただ、定家の時代には伊勢の作という認識であった。多くの男性との恋愛が伝わる伊勢の生涯である。ふさわしい一首と見なされていたのだろう。

暁星高等学校教諭 青木太朗