[22]吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ(文屋康秀)
(訳)吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、なるほど山から吹く風を嵐というのであろう。
五、六世紀ごろ中国で流行った離合詩は、漢字一字の偏と旁を切り離して句の中に取りこむ技法。句の末尾二字に分けたり、句の初めと終わりに置いたり、さまざまなパターンがあった。影響は万葉集の表記にも及び、「色二山上復有山者」で「色に出でば(表面に出れば)」と読む。山の上に復た山が有る、つまりは「出」を表わす。11小野篁の漢詩の一節「宜将愁字作秋心(宜なり愁の字をもて秋の心に作れること)」は、秋の心で愁いという字になるのはもっともなこと、と配流先の隠岐での生活を嘆じたものという。
それを和歌に取り入れた好例。「山」と「風」で「嵐」となる。なびき倒された草木によって嵐の強さはわかるのだが、自然の厳しさはことさらに強調せず、「嵐」の由来に思いをはせる。それも例えば「嵐なりけり」などはっきりと言い切るのではなく、きっとそうなのだろうと、あいまいさを残すあたりにこの歌人の、いや、古今集時代の美意識を感じる。康秀は六歌仙の一人に数えられるが、歌は6首が伝わるのみ。むしろ三河掾となった時、9小野小町に一緒に来ないかと誘い、小町が「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ(つらい憂き我が身なので、根の絶えた浮草のようにお誘いがあれば付いて行こうと思います)」という歌を返したことで知られる。