[29]心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(凡河内躬恒)
(訳)それと見当をつけて、もし折るというのであれば折ってみようか。初霜が降りて見分けがつかなくなった白菊の花を。
「心あてに」は、当てずっぽうにと、それと見当をつけて、とで説がわかれる。ここでは後者を採る。対照的に「折らばや」では、仮に折ってみようということになればと、手折ることをためらう。続く「折らむ」は疑問の係助詞「や」を受けるので、ここでも態度ははっきりしない。理由は後半で明らかになる。初霜に、確かそこにあったはずの白菊の花が紛れて見分けがつかない、と一面が白色の世界に花の在りかがわからないという幻想的な世界が現れる。折るとこの世界が壊れてしまう。ことばの放つ想像力をたよりに描いた白色のどこまでも広がるこの空間を心ゆくまで味わいたい。このためらいを強調し肯定するための「心あてに」であった、と見ておきたい。なお「菊」は中国から奈良時代の末期ごろに渡来したもので万葉集には見られない。古今集・秋下にはこの歌を含め13首が並ぶ。この時代、和歌の素材としては目新しいものだった。
躬恒の代表作の一つに「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(春の夜の闇は意味のないものだよ。梅の花の色は見えないけど香りは隠しきれないから)」がある。香りがすばらしいので、一面闇の中でも花の見分けはつくという。一面同じ色の中で花を見出すところ、この歌の発想に通じる。