[30]有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし(壬生忠岑)
(訳)有明の月のそっけなく見えた、そしてあなたの冷たかった別れの時から、暁どきほどつらいものはないのですよ。
明け方の別れの時間になってもまだ、暗い時分と同じ姿で、これから女のところへ出かけようという気にさせるように輝いている。そんな、気配りに欠けた有明の月をおもしろくなく思っているので「つれなく」見えたのだ。
このわずかな実景をきっかけに「つれなく見えし別れ」へと移る。古今集の配列では、訪れたのに会ってくれない女への恨み言と読める。まだ恋が成就する前の「いまだ逢はざる恋」の段階だ。一晩中待ち続け、会えずにすごすごと帰るのだ。明け方がつらく感じるのも無理はない。ところが定家らの時代になると21「いまこむと」と同様に解釈が変わってくる。女との別れが惜しいのに、有明の月が無情にも照り輝いているという理解になるのだ。「つれなく」見えたのは月だけで、後朝の別れを惜しむ歌となる。さまざまな解釈が生じるのは恋歌の性質のひとつであるが、「有明」もまたいろいろな物語を生み出す時間帯であった。
忠岑は古今集の撰者のひとりで、29躬恒や35貫之よりも年長だった。『大和物語』には「かささぎの渡せる橋の霜の上を夜半に踏みわけことさらにこそ(かささぎの渡した橋ならぬ、こちらの寝殿の階段に置いた霜の上をこの夜更けに踏み分けてわざわざやって来たのですよ)」という、6「かささぎの」と11字決まりの歌がある。