[32] 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり(春道列樹)
(訳)山の中の川に風が架けたしがらみは、なんと、流れきれずにいる紅葉であったよ。
古今集の時代「AはBなりけり」という定番の構図があった。「なりけり」は、実は○○だったのか、と初めて気づいた驚きや感動を、詠嘆をこめて歌う。一見かけ離れているように思われるふたつの事物や事柄を効果的に結びつけるときによく用いられる言い方で、ちょっと際立たせたいときに便利だ。
その基本に忠実な歌で、一首の全体をこの構図でととのえている。出典は古今集の秋下。詞書に「志賀の山越えにてよめる」とある。都から、比叡山と如意ヶ岳の間を通って近江に抜け大津に至るルートが「志賀の山越え」。花の名所でもあったようで、多くの人が行き来をし、そのにぎわいが和歌に詠まれることも多かった。今では大文字山として親しまれているこの山を経て三井寺に出るハイキングコースもあり、往時の山越えを味わうことができる。このとき見たのは、紅葉にせき止められ流れの淀んだ山あいの川。前半がなぞなぞの問いかけに相当し、後半がその答えと見るとよい。風が架け渡したしがらみは実際にはあり得ない。何のことだろう、と思わせておき、実は流れきれない紅葉だったんだよ、と得意げに答えを披露する。「なりけり」には真っ先に自分が気付いたよろこびが凝縮されている。散り行くだけでも、川面を流れるだけでもない紅葉の実態をよく見ている。写実性豊かな一首。