30 夏の短夜

[36]夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ(清原深養父)

(訳)夏の夜はまだ宵かと思っているうちに明けてしまったが、雲のいったいどこに月は宿りをとっているのだろう。

 

 夏の夜は短い。出典の古今集には「月がすばらしかった夜の、明け方に詠んだ歌」とある。この月夜に何をしていたのだろう。うたた寝か、おしゃべりに夢中になっていたか、はたまた琴の名手と伝わるだけに明月のもとで管絃の遊びに興じていたか、あるいは女性と一緒に過ごしていたか。次々と想像がふくらむ楽しい歌だ。東西と北の三方を山に囲まれた京都では、月は西山に隠れる。はっと気づいた時には月はもう見えなかった。はて、今宵は西山へ行く時間もなかったはず、いったいどの雲に隠れたのか、と月に問いかける。

古今集には、30忠岑の「暮れたかと思ったらすぐに明けてしまう夏の夜を物足りないと思って山郭公は鳴くのか(暮るるかと見れば明けぬる夏の夜を飽かずとや鳴く山郭公)」や、35貫之の「夏の夜はちょっと寝た間に、郭公(ほととぎす)の一声で明るくなった(夏の夜の臥すかとすれば郭公鳴く一声に明くるしののめ)」といった郭公の声で夜明けを知る歌がある。夜と朝の境を明確にするこれらに対し、気づいたら月がどこかへ行ってしまったよというこの歌からは、どこかとぼけた感じが伝わる。すべてあいまいなうちに夏の夜は明けていくのだと教えてくれる。最後まで楽しい。作者は古今集時代に活躍した歌人で、42元輔の祖父、62清少納言の曽祖父。

暁星高等学校教諭 青木太朗