[39]浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき(参議等)
(訳)浅茅の生えた小野の篠原、ああ、そんなふうに忍んできたけれど、忍びきれずにどうしてあなたがこんなにも恋しいのか。
出典は後撰集・恋一。詞書は「人につかはしける」。この歌をみてすぐに思い浮かべるのは古今集・恋一の「浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめや言ふ人なしに(浅茅の生えた小野の篠原、そんなふうに忍んでもあの人は知っているのだろうか、この思いを伝える人がいないのに)」という一首。チガヤや篠竹といった背たけの低い灌木に覆われた野原は遠望できても足元は見えない。上二句は同音の繰り返しで「忍ぶ」を導く序詞。忍ぶ思いを相手が知ることはないだろう、と、まだ一方的に思い始めた段階の歌だ。この奥ゆかしい本歌の世界にどうひねりを加えるのかに注目する。ポイントは逆接の接続助詞「ど」。思いを秘めたままでいたつつましい世界から一転、制御しきれない思いを「あまりて」「などか」と畳みかけるように訴える。引用をぎりぎりまで伸ばし、古歌の世界を十二分に引き出すことで、「人の恋しき」という思いを際立たせる。ただ、この歌を贈られた女の返歌は残らない。
作者・源等は嵯峨天皇の曽孫。900年前後に三河や丹波、山城守といった地方官を歴任する。歌人としての事績はほとんどなく後撰集に私的な歌が四首伝わるのみ。この歌に99後鳥羽院や97定家が注目したことで名が残った。古歌の大胆な引用が、当時流行の本歌取りのさきがけのようでもある。