[46]由良のとを渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな(曾禰好忠)
(訳)由良の河口を渡る舟人が、梶がなくなりどこへ行くのかもわからぬように、この先どうなるかわからない私の恋の道ですよ。
「由良のと」は万葉集に「紀の国の由良の御崎」と詠まれた、現在の和歌山県日高郡由良町あたりが比定される。一方で、好忠が950年代後半の一時期丹後掾の地位にあったことから、丹後国を流れる由良川の河口ともいう。現在の京都府宮津市で、河口にかかる京都丹後鉄道の由良川橋梁は撮影スポットとして有名。74源俊頼にこの歌を踏まえた「与謝の海に島がくれゆく釣舟の行方も知らぬ恋もするかな」がある。与謝は丹後国の地名で、俊頼は後者と認識していた。また、三句「梶緒絶え」とし、舟と梶を結びつけていた縄が切れてとする説もある。いずれにせよここまでが「行方も知らぬ」を導く序詞。
海が一面に広がる中でこれからどうなるのか。梶をなくした舟人の不安を推し量るにはあまりある状況だ。この具体的なイメージが「恋の道」の喩えである。下句での、あとさき考えずに恋をしてしまったものの将来の不安に悩む思いが、梶を失いコントロールのきかぬ舟に揺られる舟人の心情と重なる。どうすることもできない孤独や哀愁が、収まることを知らない波のようにわが身から離れない。
好忠は百首をひとつの単位として歌を詠む百首歌を創出したり、一年の日数になぞらえて三百六十首の和歌を詠み「毎月集」と名づけたりするなど、独創的な活動で知られる。これは百首歌のうち、恋歌の一首。