[51]かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを(藤原実方朝臣)
(訳)「このように」とだけでさえも言うことができないのだから、伊吹山のさしも草のように、こんなにも燃えている「思ひ」をあなたはさすがに知りますまいね。
実方の家集には20人を超える女性との贈答が伝わる。中には62清少納言も含まれ「人には知らせず、絶えぬ仲にて」とある。まわりに知られることなく関係が続いたようだ。これだけの女性に歌を贈り、清少納言の心をも引きつけるのだから、歌の力量も相当のものであった。この時代、女性への贈歌に求められるのは思いをどう巧みに表現するかということ。「女に初めて遣はしける」という詞書を持つこの歌はそれを十二分に備える。代名詞「かく」で始まる意表をついたうたいだし、反語「やは」を用いはっきり言い切らない展開、「言ふ」から「伊吹」に続く掛詞、伊吹山の産として知られるさしも草(ヨモギのこと。お灸に使われるので火に関することばと一緒に用いられることが多い)を引き合いに「伊吹のさしも草」と序詞にして同音反復「さしも」を導く、息もつかせぬ流れに一気に引き込まれる。さらに「さしも草」の縁語「燃ゆる」で後半につなぎ、火を掛けた「燃ゆる思ひ」をうたう。さしも草の煙がくゆるように内に秘めた思いがくすぶるさまを伝える。反語「やは」が、言うに言えぬもどかしさを印象づける。百人一首の中で最も技巧に富んだ歌と言われる。
実方は交際範囲が広く評判の風流人であった。52道信とは親友で多くの贈答歌が残る。陸奥守として任地で亡くなったことから、後に様々な説話が生まれた。