41 月のもとで

[57]めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな(紫式部)

(訳)めぐり会って、見たのがあなたかどうかも見分けられなかった間に、雲に隠れてしまった夜半の月のように、すぐに隠れてしまいましたね。

 

 新古今集の詞書には、幼友だちとひさびさに会ったが、ほんのわずかな時間で、まるで雲に隠れる月と競い合うかのように別れてしまったので詠んだ、とある。互いに成長した姿で出会った一瞬を、月の見え隠れになぞらえ、雲に隠れてしまった月のようにあなたも隠れてしまいましたね、という。初秋7月の月夜と伝える。そして晩秋9月の最後の日に、式部はこの友だちの訪問を受けることになる。遠くに行くことになったという。式部の家は受領階級で、父は後に式部を伴い越前国に赴任している。友だちの家も同じような環境だとしたら、やはり父の赴任先に付いて行くことになったのであろうか。この時の悲しみを「鳴き弱る秋の虫も、止められない秋との別れを悲しんでいるのだろうか、あなたとの別れを止められない私と同じように(鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらん)」と、虫の声に託す。この二首は式部の歌を集めた『紫式部集』の冒頭に置かれる。歌人として、また後の物語作者・紫式部の第一歩がここから始まるのだ。

 

 83藤原俊成は自身判者を務めた「六百番歌合」で「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事」といい、その資質を高く評価した。また「歌よみの程よりも物かく筆は殊勝なり」と言いながらも千載集に9首を入れている。歌人としてもしっかり評価していた。

暁星高等学校教諭 青木太朗