63 月をずっと見続けるとき

[59]やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな(赤染衛門)

(訳)ためらわずに寝てしまえばよかったのに。おかげで夜がふけて傾くまでの月を見てしまったよ。

 

 状況は有明の月を待った21「いまこむと」と同じで、一晩中男の訪れを待ちつづけ、結局は来なかったときの恨み歌。下句の「かたぶくまでの月を」に気をとめておきたい。「かたぶくまで月を」であればそれだけの長い時間が強調される。そこに「の」を入れることで月そのものも対象となり、夜通し月を見続けていたことになる。どんな思いで月を見ていたのだろうか。期待、不安、怒り、恨み、あきらめ、自嘲、などいろいろな思いが浮かんでくる。「月を見しかな」の詠嘆「かな」からは、むなしく過ごしてしまったことへのため息が聞こえてきそうだ。そして上の句に戻ると、こんな思いをするぐらいなら早く寝ておけばよかったのに、と、男のことばをあてにした自分のおろかさを見つめ直す作者がいる。恨み歌でありながら恨み言を入れないことで、相手の男を思い浮かべることなく、女の悩ましげな気持ちに焦点が絞られる。

 

 出典の後拾遺集の詞書によると、後に中関白(なかのかんぱく)と呼ばれる藤原道隆がまだ少将だったとき、今夜訪れると言いながら来なかった翌朝、その相手の姉妹であった作者が代わって詠んだとある。赤染は若いときから道長室・倫子に仕え長く信頼を得る。夫の大江匡衡(まさひら)は一条天皇の侍読となるなど漢学者として活躍。道長時代に彩りを添えた女房歌人のひとりで、『栄花物語』正編の作者に擬せられる。73匡房は曽孫。

暁星高等学校教諭 青木太朗