12 歌合いろいろ・その1

[65]うらみわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(相模)

(訳)あの人を恨みつづけることもできず、涙に濡れて乾かぬ袖さえまだあるというのに、袖よりも先にこの恋のために朽ちてしまうだろう私の評判の方が惜しいことです。

 

 涙に濡れた袖は朽ちやすい。その袖がまだあるというのに、恋のために立ったうわさのために我が名が朽ちてしまうことの方が惜しい。このままでは私の存在は袖よりもはかないものになってしまう。それは耐えられない、という。濡れた袖からは、男の訪れのないまま朝を迎えてしまった悲しさやむなしさが伝わる。声にならない、悲痛なさけびが聞こえてくるようだ。

 1051年5月5日、後冷泉天皇の時代、内裏で根合(ねあわせ)が催された。この日は「端午(たんご)(節会(せちえ)(」というイベントで、菖蒲の葉を軒先に葺いたり、薬玉に挿したり、かんざし代わりにするなどして邪気払いをした。今の菖蒲湯につながる風習だ。根合はその流れから生まれた、菖蒲の根の長さを競う遊び。なかには4メートルを越える根のついた菖蒲もあったと伝える。当日は中宮・章子(しょうし)((後一条天皇の娘、藤原道長の孫)と皇后宮・寛子(かんし)((藤原頼通の娘)の二后が揃い粋を凝らしたしつらえの中、歌合も行われた。その時の恋題の一首。かつて1035年5月、頼通邸で開かれた歌合で披露した歌が素晴らしく、その賛嘆の声が邸外にまで及んだという伝説を残した相模である。歌合は逸話を生み出す場でもあった。それから16年を経た円熟期の一首。

暁星高等学校教諭 青木太朗