[70]さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮(良暹法師)
(訳)寂しさに耐えかねて、庵を立ち出てあたりをながめてみたら、どこも同じく寂しいものだったよ、秋の夕暮れは。
出典は後拾遺集・秋上。初句の後に「耐えかねて」を補えば現代語訳の必要もなさそうだ。二句の字余り「宿を立ち出でて」がこの歌の雰囲気を演出する。ゆっくりと立ち上がり、ひとしきりあたりを見わたして感慨にふける息づかいが伝わってくるのだ。そして、どこを見ても同じように寂しく見えるとうたう。「さびしさに」といううたい出しも、「秋の夕暮」と体言止めで終わる言い方も、勅撰集では後拾遺集が初出の新しいフレーズ。以前の和歌ではそこに孤独を思ったり恋の終わりを感じたりしたものだ。そうした、詠み出された景色の背後に何かを読み取る必要はない。ただ目の前の寂しさをそのまま受け止め、しみじみとした情感を味わっている。この時代の新しい詠みぶりの先駆的な一首である。
良暹は比叡山の僧と伝わるのみで出自は不明。1030年代からしばしば歌合に参加し、65「恨みわび」の詠まれた後冷泉天皇の内裏根合にも出詠していることから、歌人としての評価が高かったことがわかる。晩年は洛北・大原に隠棲した。後拾遺集・雑三には藤原国房が良暹に贈った「思ひやる心さへこそさびしけれ大原山の秋の夕暮」がある。大原での暮らしを思うと都にいるこちらまで寂しくなる、というもの。並べて見ると、良暹からの返歌のようでもある。