13 歌合いろいろ・その2

72]音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ(祐子内親王家紀伊)

 (訳)うわさに聞く高師の浜のいたずらに立つ波は掛けませんよ。あなたの浮ついた気持ちが心に掛かって涙するように、袖が濡れると困りますから。

  

 1102年は堀河天皇の治世である。閏五月のうちに内裏(場所には諸説あり)で二度にわたり、恋歌だけの歌合が催された。一度目は男性の贈歌に女性が返し、二度目は女性から歌いかける趣向だ。「堀河院艶書合(えんしょあわせ)」という。歌壇の第一人者74源俊頼、70代であったというベテラン67周防内侍といった百人一首に名の見える歌人も参加した。50首近くの歌が伝わる。その中の一首で、藤原俊忠の「人知れぬ思いあり、ということを「荒磯(ありそ)」の浦風で波が寄る、そんな夜に伝えたいものです(人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ)」に応じたもの。

 

 贈歌は「あり」「よる」と掛詞を駆使して力量をアピールし、激しく寄せる「荒磯」のような思いの強さを伝え圧倒させようとする。紀伊は、その波を浮気心のたとえである「あだ波」と、やんわり受け止め、浮気心に振り回されて袖が濡れるのも困ります、とあっさりといなしている。「もこそ」は係助詞が二つ重なり、そうなったら困るの意。かつてそのような思いをしたことがありそうな口ぶりだ。彼女もまたこのとき70代だという。ベテラン女房の余裕を感じる。いいようにあしらわれた俊忠はまだ30歳。場は大いに盛り上がったことであろう。

暁星高等学校教諭 青木太朗