[74]憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを(源俊頼朝臣)
(訳)辛くあたっていた人を、初瀬の山おろしよ、お前のようにもっと激しくあれとは祈らなかったのに。
初瀬山には長谷寺があり、本尊の十一面観音は多くの人々の信仰を集めた。35「人はいさ」はここへ詣でる途中の歌。53藤原道綱母も宇治を経由して参詣した(→「64朝ぼらけう」参照)。そのころ成立した『住吉物語』の男君は、長谷寺参籠中に行方が分からなかった姫君が夢に現れ、やがて再会する。『源氏物語』には、幼少のころ筑紫に渡り成人したヒロイン玉鬘がかつて母に仕えていた女房と長谷寺で劇的な再会を果たす場面がある。『今昔物語集』などで有名な「わらしべ長者」の話は夢に現れた長谷観音のお告げから始まる。願いのかなう場として広範な人々に親しまれた。
ここで祈ったのは「憂かりける人」の心変わり。辛くあたるのではなくこちらになびいてもらいたい。だが、激しく吹きつける山おろしのように、もっと冷淡になってしまったと嘆く。命令形「はげしかれ」は「山おろし」の縁語。初瀬の冷たく吹きおろす風と相手の拒絶の意志が一緒になって我が身を襲う。「山おろしよ」と呼びかけることで、無情さや無力感、絶望感が歌全体に響きわたる。「祈れども逢はざる恋」というハードルの高い題。あえて長谷を選んだところに俊頼の自信を感じる。97定家は「これは心深く、言・心任せてまねぶとも言ひ続けがたく、まことに及ぶまじき姿なり」と手放しで賛嘆する。