[77]瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)
(訳)流れが速いので岩にせきとめられた滝川が割れても末には合わさるように、あなたと今別れても行末にはきっと逢おうと思うことです。
「滝川」は流れの激しい川のこと。初句と相まって、二句目「岩」に砕けてなおスピードの落ちない、むしろいよいよ流れが速く激しくなるさまが浮かぶ。岩にせき止められた後に合流する「滝川」は、さらに速さを増してくだっていく。31音のうち「逢は」までの24音もこの情景をうたうのに費やしている。一首全体が激流にのみ込まれそうな勢いだ。上三句が「われても末に逢は」を導く序詞で、受ける句としては破格の長さである。歌末「とぞ思ふ」ではじめて恋の思いだとわかる。激流が思いの激しさや強さと重なる。今は成就できないとしても、いずれきっと一緒になるのだという決意がみなぎっている。
院自らが企画し自身も百首を用意した「久安百首」の恋題の一首。そこでは初句「ゆきなやみ」、三句「谷川の」、四句「われて末にも」とあった。その後79藤原顕輔に編纂を命じ1151年に撰進された第六勅撰集『詞花和歌集』ではこの形になっている。山の奥深くを流れる「谷川」は人目につきにくいことから、表に出ない恋心の比喩としてこの頃から注目されるようになる。かたや「滝川」の先行例はほとんどない。激しい思いをより的確に表わす新たなことばを院自ら見つけたのであろう。初句の改変とともに流れの速さが鮮明になる。保元の乱で失脚する5年前のこと。