[81]ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(後徳大寺左大臣)
(訳)ほととぎすが鳴いた方を眺めてみると、ただ有明の月が残るだけであったよ。
夏になるとほととぎすの初音を待ち望む。誰よりも早く聞こうと、わざわざ山辺にまで足を伸ばす人もいた。その、待ちに待った声が聞こえた。はっとして目を向けるとすでにほととぎすの姿はなく、有明の月が残るばかりであった。前半の聴覚でつくられた世界だけで終わらずに、後半の視覚に訴えることばとの対照が巧みだ。ほととぎすの余韻がいつまでも残り、そこに一抹の喪失感をただよわせつつ、夏の朝を迎える。物足りなさをしみじみと味わうこの時代の和歌の特色をよく表している。作者・藤原実定の家集『林下集』では「思ひ寝の夢に鳴きつる郭公やがてうつつに声ぞ聞こゆる」、「郭公汝も昔の恋しきか花橘の枝にしも鳴く」、「ながむれば有明の月に影見えていづち行くらむ山郭公」の三首の次に置かれる。夢の中で聞いたかと思ったほととぎすの声が現だと気づき、昔の恋を偲んで鳴いたのかと推し量り、月に姿を映したほととぎすの行方を気にかけ、最後に月だけが残る、と連続した展開になっている。
実定には『平家物語』に、遠く厳島神社に詣でてやっと左大将に昇進した話や、福原遷都後に京都に戻りその荒廃した様子を今様(当時の流行歌。七・五調の四句)でうたった話が伝わる。『徒然草』の、家の前に鳶除けのために縄を張ったところ86西行の顰蹙を買った話も有名。