66 山の奥には何が?

[83]世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(皇太后宮大夫俊成)

(訳)ああ世の中よ、ここから逃れる道はないものだ。思いつめて入ったこの山の奥でも鹿が鳴いているようだ。

 

 山に入るのは俗世を捨てて仏道に専念するため。ところが、その山の奥でも鹿の鳴き声が聞こえてくる。まるで、この山奥でも泣きたくなるようなつらいことばかりだと言わんばかりに。古今集に入る29躬恒の「世を捨てて山に入る人山にてもなほ憂き時はいづち行くらむ(俗世を捨てて山に入る人は、その山の中でもなお辛いことがあったらどこに行くのだろう)」の疑問に、いやいや行きどころはないのだ、と答えたかのような一首。初句の「よ」は詠嘆。二句切れで、行きどころのない世の中をしみじみと感じ入っている。後半は5「奥山に」を踏まえ、鹿の声を聞いて悲しさが極まった世界に自らの心境を重ねる。悲しみを受け入れ、辛い俗世から逃れられないことをいよいよ自覚する。

 

 1140年、27歳の俊成は、春夏秋冬恋雑など百の題のすべてを我が身の不遇を嘆く歌で尽くした「述懐百首」を試みる。先例は74源俊頼があるだけの斬新な着想であった。その秋題の一首。この年、親交の深かった86西行が23歳で出家している。俊成の人生は30代後半に好転し、75歳で第七勅撰集『千載和歌集』を編纂、80歳で91藤原良経の主催する『六百番歌合』の判詞をひとりで担当、84歳で後白河院の皇女89式子内親王のために歌論『古来風躰抄』をまとめる。晩年の充実ぶりに圧倒させられる。1204年、新古今集奏覧の前年91歳でその生涯を閉じる。97定家の父。

暁星高等学校教諭 青木太朗