[84]ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき(藤原清輔朝臣)
(訳)生きながらえたとしたら、今この頃がなつかしく偲ばれるのだろうか。あの辛いと思っていた昔が今では恋しいよ。
20代後半から30代半ばごろにかけて詠まれた述懐歌。この時期、史料に名がほとんど見えず不遇の時代であった。それでもさらに若かったかつての「憂しと見し世」が今では恋しく思うのだ。だとすると、もう少し生きながらえて振り返ったときには、今の辛い日々も恋しく思うのだろうか、と言い聞かせることで今の自分を慰めようとする。83俊成の述懐歌も若いときのものであった。戦乱の続く世の中で、貴族社会も前例が通用せず先行きが見通せなかった。若い貴族の多くは漠然とした不安を抱えていたのであろう。清輔の人生は40代を過ぎて好転する。歌学書『奥義抄』を77崇徳院に献上し、また歌題一字から和歌が検索できる『和歌一字抄』を作る。1156年の保元の乱後には清輔の歌学と知識の集大成となった『袋草紙』をまとめ、請われて二条院に献上した。引き続き、20巻1000首規模という勅撰集と同じ体裁で『続詞花和歌集』を編纂した。二条院の裁可が降り勅撰集となるはずだったが直前に院が23歳で早世し、七番目の勅撰集とはならなかった。その後も歌合の判者として活躍し、87俊成とよく論争した。1177年、70歳で生涯を閉じる。
過去をふり返って「今ぞ恋しき」と思う感覚は広く共感をもって受け入れられる。生きながらえた清輔は、この歌を詠んだ不遇の時代をどのような思いで振り返ったであろうか。