86 嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな(西行法師)
(訳)嘆けと言って月が物思いをさせるのだろうか。そうではないのに、月のせいにしてこぼれ落ちる我が涙であるよ。
「月の前の恋」題で、千載集・恋五に入る。恋の終わりの段階。物思いをして、涙をこぼすのはつれない恋人のせいである。それをあたかも月がそうさせたかのようにして涙することだ、という。反語「やは」を用いることで、いろいろなことを思い出させる月の存在感をはっきりとさせ、相手へのせつない思いを引き出す。「かこつ」は不平や不満を言ったり愚痴をこぼしたりするの意。ここでは月に向けて、本当は恋人を思って泣いているのに、それと分からせぬように泣かせるとは、とぼやく。このことば、和歌に使われることはほとんどなかった。それを西行は「秋の夜の月や涙をかこつらん雲なき影をもてやつすとて(秋の夜の月が私の涙に不平を言うのであろうか。雲のないこのきれいな姿をみすぼらしくするといって)」、「恋しさをもよほす月の影なればこぼれかかりてかこつ涙か(恋しく思う気にさせる月なので、こんなに月のせいで涙がこぼれ落ちるのか)」と、月にからめて繰り返し詠んでいる。従来の詠風にとらわれず自由に歌をつくった西行の面目を伝える一首だ。
23歳で出家する以前の西行は鳥羽院の北面の武士で、徳大寺左大臣こと藤原実能の随身であった。81藤原実定の祖父である。この時代、いろいろなところで歌人同士がつながっている。