50 本歌との離れ

[93]世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも(鎌倉右大臣)

(訳)世の中は常に変わらぬものであってほしいことだ。渚を漕ぐ海人の、小舟の綱手ひく姿がしみじみとするよ。

 

 万葉集の「川上(かはのへ)のゆつ岩むらに草むさず常にもがもな(とこ)をとめにて(川のほとりの神聖な岩の上に草が生えないように、常に若い乙女のままであってほしいものです)」と、古今集の陸奥歌「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも(陸奥はどこもすばらしいが、塩釜の浦漕ぐ舟の綱手を引く姿がしみじみとするよ)」の二首を本歌とする。由比ヶ浜あたりで見た漁師の日々の営みに、不変の尊さを感じたのであろう。下句からはささやかな日常への好意的なまなざしが伝わる。対照的に、世の不変を願う上の句からは現世無常の自覚が見える。詠嘆「な」には、この願いを実現するのは難しいのはわかっている、それでもなお、こうあってほしいという、自分の意思ではどうすることもできない現実に対する叫びやあるいは無力感がこめられる。本歌にはない哀愁を帯びた感慨がにじみ出る。

 

 作者・源実朝は十代の早いうちから和歌に関心を持ち、成立して間もない新古今集や、76藤原基俊筆の古今集を入手し、97藤原定家に歌作の添削を乞い、所伝の万葉集を贈られるなど、和歌を学ぶ環境に恵まれた。定家の著作「近代秀歌」は実朝に示した名歌の条件と実例である。家集『金槐和歌集』は二十二歳までの歌作700首あまりを収める。自身の運命を予感し作り急いだかのような、多作の歌人であった。

暁星高等学校教諭 青木太朗