[94]み吉野の山の秋風小夜ふけてふるさと寒く衣うつなり(参議雅経)
(訳)吉野の山の秋風に夜は更けて、このふるさとは寒々として、衣を打つ音が聞こえてくるようだ。
「衣打つ」は漢語「擣衣」の言い換え。衣を柔らかくしたり光沢を出したりするために石や木板の上に広げて砧と呼ばれる木づちで打つこと。秋の夜の女性の仕事であった。中国では出兵した夫の無事の帰還を祈り打ったことから、不在の夫を思うモチーフともなった。ここにはそういった思慕の情や孤閨をかこつ思いはない。都よりも寒い吉野山から冷たく厳しい秋風が吹きおろし、夜更けの森閑とした空気につつまれた中、どこからともなく砧をうつ乾いた音が聞こえてくる。しかもここは「ふるさと」。旧都・吉野をいうだけでなく、今ではすっかりさびれてしまった場であることを言外ににおわせる。光景をうたわず、風と砧の音だけで秋の寂しさを表わした一首。
31坂上是則の「み吉野の山の白雪積もるらしふるさと寒くなりまさるなり(吉野の山の白雪が積もったようだ。それでこのふるさとも一段と寒くなったものだ)」を本歌とする。古今集・冬の一首で、この「ふるさと」は詞書によると奈良。遠望する吉野山の冠雪と奈良の寒さとを結びつける。ともに寒さをモチーフとし、この歌と17音も一致しながら、季節を秋にずらし、この歌には全くなかった聴覚に訴える世界に置き換えたところに「本歌取り」の醍醐味を見る。雅経は和歌・蹴鞠の家として伝わる飛鳥井家の祖で新古今集撰者のひとり。