48 歌の古さと新しさと

76 わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波(法性寺入道前関白太政大臣)

(訳)大海原に漕ぎ出して、眺めてみると、雲と見紛うばかりの沖の白波だよ。

 

 11359月、77崇徳院の御前で開かれた歌合での一首。「海上の遠望」という題。この歌合で初めて出された新しい題である。歌は、遠く沖合まで見渡すスケールの大きさと、雲と波の区別がつかなくなるという微妙なところを見極めようとする繊細さを兼ね備える。海上を意味する「わたの原」は万葉集に多く見られる「わたつうみ」に拠るもので、当時は古めかしいものであった。おのずと、平安時代でも比較的早い時期に詠まれた11「わたの原八十島かけて」を連想させる。「漕ぎ出でて見れば」からは4「田子の浦にうち出でて見れば」が思い出され、やはり古体な言い回し。枕詞もこの時代は古歌を意識して用いるのが常であった。古色をたっぷりとまとったことば遣いでありながら、新しい景色を詠みだしたところに歌人としてのセンスと意欲を感じる。

 

 夏目漱石『吾輩は猫である』にも長い名前として引き合いに出される作者は藤原忠通(ただみち)。道長から数えて六代目になる。名づけ親は73大江匡房。娘・聖子(せいし)77崇徳院の中宮で皇嘉門院と号す。その女房に88皇嘉門院別当がいた。子に95慈円がいる。鳥羽・崇徳・近衛・後白河の四代で関白をつとめる。保元の乱では後白河側に立ち、崇徳院の讃岐配流をもたらす。一方で歌合をしばしば催し、判者に74源俊頼や75藤原基俊を登用し歌壇を形成し、「田多民治集」と万葉仮名風に表記した家集が残る。

暁星高等学校教諭 青木太朗